夜に書くブログ
・青葉市子
さんをきいている。すごくよい。僕はどこでこの人のことを知ったのか。覚えていない。しかしいいもんだなあ。歌詞は本当に入ってこない、ただ音として曲の一部になっているような感じ。
・ネットサーフィン
がやめられないで困った。ああ、僕はネットサーフィンをやめたい、と思いながら平気で1時間もPCの前にいる。どうしたもんか。
・ブログ
を久々に書いている。今はSpotifyの広告が流れている。無料プランなので。キャンセルはいつでも♪と唄う。Spotifyの人が。
・一日一善
なのかは知らないけれど、一日の中で、自分の納得できることを、一定時間行わないと、素直に眠りにつくことができない。だから、ネットサーフィンをたくさんして、寝るべき時間が刻々と迫ってくると、ああ、なにか、少しの間でもいいから、いい時間を確保しないと、そうじゃないと今日一日を終わらせることができない!そんな気分になる。たとえば、それはブログを書くこと。日記を書くこと(これは自分の中でもかなり善の上位に入る)。散歩をすること。あとはなんだろう。そのくらいか。
・自分と向き合う
時間を作りたい、と思っているんだろうな、要するに。僕は。
・スピード
がよくわからない。正直、大学院の生活は今のところ忙しい。かなり忙しい、といっても差し支えないのかもしれない。でも、そのスピード感を認識できずにいる感じがある。というのも、あまりに、春休みに過ごしていたころといまとで時間の流れ方、いや、時間の流し方、といったほうがしっくりくるけれど、とにかく時間の感覚が違うので、ああなんだこれは、と思いながら、せっぱつまりながら、ようやくたどり着いた休日に、そこから振り返って、ああ僕は忙しかったのだなと気づくような感覚。
・実際
どうなんだろう。忙しいのかな?胸を張って言えるような忙しさじゃないのかもしれない。別に偉い忙しさじゃない気がする。迷走しているのかもしれない。瞑想が必要なのかもしれない。どこに起因するんだろう、この納得のいかなさは。うーむ。
・お風呂
沸かしてくるよ。とりあえず。
・お風呂
沸かしスイッチ入れてきたよ。とりあえず。
・僕の住んでるアパートのウォシュレット
が調子悪い。ウォシュレットの機能は問題ないんだけれど、「止める」ボタンが反応しない。正確に言えば、反応はある。ただ、液晶がちらちら点滅するだけで、ウォシュレットは一向に止まらない。僕は仕方がないから、無理やりコンセントを抜くことで電源の供給をブチ切り、それでウォシュレットを止めている、ここ最近。コンセントを抜くとき、ぶぶぶぶぶぶぶという音がする。それがすごく、なんだろう、嫌かも。だから早いとこ大家さんに連絡して直してもらいたいんだけれど、そのための心の準備がなかなか整わずにいる。
・たっぷりとした時間
が必要な気がする。ウォシュレットを直してもらうためには。
・眠くなってきた。
それは良い兆候なのかもしれない。
・焦り
を感じているうちは、往々にして眠気は来ないものだと思う。眠気を感じているということは、焦りを感じていないということなのだろう。やはり、一日一善としてのブログ執筆が有効なのかもしれない。
僕は、僕の存在を確かめてほしい、と思うときがある。それは、誰かと話すこと、それだけじゃなくて、誰かを介して、僕が僕であること、その輪郭を感じさせてほしいということ。
僕がインターネットを徘徊するのは、SNSを見るのは、オンラインゲームで顔も知らないどこかの誰かとボイスチャットをするのは、自分の存在を、その輪郭を、確かめたいからなんだと思う。僕が声を発し、それに誰かが応えてくれること。そうしたやり取りを、僕は求めているんだと思う。でもそんな場には、めったに巡り合えない。
それは具体的にはどのような場なのか?と問われても、なかなか思い出せない。僕はそういう場を確かに定期的には経験してきたのだろうけど、その渦中にいるときの気持ち、あるいはそれがどんな場だったのかということすらも、いまは思い出せない。そういうものなんだろうと思う。
・ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい
という映画がとてもよかったです。金子由里奈監督。
・お風呂
が湧いたようだ。それを伝える音が聞こえるから。声がするから。一日一善もしたことだし、入ってきますね。今日もブログをご覧いただきどうもありがとう、どこかの誰か。