勉強ができなかった日のブログ

大学院生になりました。

20221003

院試が終わった。

 

記事を書くにあたって一目散に書く内容が「院試が終わった」であったことに可笑しさを覚えている。僕は何に縛られているのだろう。ださい。情けない。いや、言い過ぎた。このブログのひとつの話題として院試を用意していたのだから、ブログの中ではそれは妥当なんだけれど、最近の僕の生活の波はそこから離れたところで繰り返されていたものだから、滑稽に感じたのです。なんだか恥ずかしくなってまいりました。院試は合格しました。

 

図書館のテーブルが長方形ではない。台形になっている。そしてその平行でない一対の辺に対して正面から座るように椅子が配されている。だから僕はいま斜め左前に座る女性とやや気まずい意識の交差を抱えながらこの文章を書いている。何秒か前に、ちらっと目線を配されるのを感じた。こういう場面は生活する中でまま出くわすけれど、僕はどうしたらいいのだろうか。僕もちらっと目線を返すべきなんだろうか。いずれにしてもやりにくい。ただ、やりにくいことを楽しむ姿勢が自分には欠けているというか、そんなことを最近思ったので、この状況をいかに楽しむかを考えてみるのもいいかもしれないが、疲れます。

 

エネルギーの問題は大きい。一線を越えてしかるべき物事というのは世の中にたくさんあって、でもそれを踏み越えていける存在というのは稀有で、だって僕たちにはなかなかエネルギーがなくて、疲れてしまうんだけれど、でもそれってなんなんだろう。どうすればいいんだろう。僕が悪いんだろうか。わからない。そのことはずっと低音として僕の中に巣くうものです。

 

彼女は眼鏡をかけていて、たったいまペットボトルから水を飲んだ。彼女は相変わらずPCに向かって作業をし続けていて、でもそれがなんになるというんだろう。価値のあるもの、ないものが多くて、ついていけない。どちらにも、振り切れず、その淡い合間の中で、息苦しく、静かに、水面を眺めている。

 

感傷的になるために感傷的になる文章と距離をとらなければいけない。ので、どうしましょう。この記事はそういうものです。申し訳ないが。御免。